こふんの雑記

日常生活でふと気になったことや、その他のことも色々書いていこうと思います。

漢帝国の西域について

皆さんこんにちは。

今回はずっと前から気になっていた漢代のある地域のことについて話していこうと思います。
その地域は中国西方のタリム盆地に存在し、古代から「西域」と呼ばれた場所になります。

前漢 領土

前漢 領土

漢帝国の地図を見てみると、西方に伸びるようにして領土が広がっていることが分かります。
なぜこのような形なのか、どういった経緯でこの場所を支配したのか、調べてみましたので、どうぞお楽しみください。

西域の地理

西域に存在する国々の情報が初めて記録に現れるのは、『史記』大宛伝になりますが、中国の歴史書における西域という語は『漢書』西域伝にて初めて登場しました。

漢書』西域伝では、天山山脈崑崙(クンルン)山脈に挟まれた、その大部分が砂漠であるタリム盆地が西域の範囲とされました。

タリム盆地

タリム盆地

前漢の領土が西方に伸びたような形になっているのは、山脈の存在によることが大きいことが分かりますね。

 

下にある画像、作るのにめちゃくちゃ時間かかっちゃいました(;´Д`)ツカレタ・・・

中国 地理

中国 地理

この地形図を見てみると、現在の中国の国境も大きな山脈によって決定したことが想像できますね。

前漢が西域に進出した背景

前漢が西域に進出した背景を簡単にまとめると、以下のようになりました。

 

前漢創始者である劉邦の時代、漢帝国は冒頓 単于(ぼくとつ ぜんう)が率いた北方騎馬民族匈奴に敗れたことにより、それ以降皇帝の娘を贈らなければならなかったり、匈奴に対し贈り物をしなければならないなど、匈奴に有利な状況が続いていたそうです。

高祖 劉邦

高祖 劉邦

そういった高祖の代から受けている屈辱的な状況を打破するために、第七代皇帝である武帝匈奴を討伐するために外征を行ったそうです。

第七代皇帝  武帝 劉徹

第七代皇帝 武帝 劉徹

下の画像は武帝即位時の漢の領土になります。

ちなみに、武帝匈奴討伐の他にも、南方や東北などにも外征を行い漢の最大領域を築きました。

武帝即位時の漢帝国

武帝即位時の漢帝国

前漢 武帝時代

前漢 武帝時代

武帝は対匈奴策として、西域を抜けた先にある大月氏国と対匈奴同盟を結ぶために、張 騫(ちょうけん)という使者を派遣している。
月氏国は、かつて匈奴と戦い敗れた大月氏中央アジアまで逃れてきたことで造られた遊牧国家です。

中央アジアの西域諸国

中央アジアの西域諸国

張 騫は匈奴に捕らえられ、10数年もの間匈奴で過ごしますが脱出し、やっとの思いで大月氏国にたどり着きました。

しかし大月氏はこの地で既に豊かな生活を送っており、匈奴に対する復讐心は無くなっていたことから対匈奴同盟は成立しなかったみたいです。

漢に帰国し、タリム盆地にあるオアシス都市国家群や西域の名馬や物珍しい物品の情報を持ち帰ったことが、前漢が西域に進出することへの大きな貢献になったようです。

ちなみに、この帰国途中に張 騫は再び匈奴に捕らわれてもう一度脱出しています。

めちゃくちゃ不運だけど幸運でもありますね(;゚Д゚)

まとめ

個人的に西域諸国の領域の形が山脈によって形作られてるのが知れて、かなり満足です。

また、張 騫が持たらした西域の情報によって西域諸国との交易の道が開かれ、それが後にシルクロードになると思うとロマンがありますね。

 

ということで

以上、漢帝国の西域の話でした。