皆さんこんにちは。
前回ちょろっと三国志の話をしましたが、その三国志の三国の中で異色の地に成立した国があります。
相変わらずなのですが、前々回に中国大陸の地形図を作っている時に、その特異性に気が付いたので、記事にしてみようかと思います。(。-`ω-)
↓前々回に作った地形図になります。
↑ということで今回は、三国志に出てくる蜀漢が成立した四川盆地についてお話していこうと思います。
どうぞ、お楽しみください。
四川盆地の地理
四川盆地とは、四川省の中央に位置している、周りを秦嶺山脈、横断山脈、雲貴高原などといった標高が高い山地や高原に囲まれた中国の四大盆地の1つです。
大きさのイメージとしては、北海道を丸々1つ入れても有り余るほどのものですので、とてつもなく巨大な盆地だということが分かります。
↑ 前回の記事で、王朝の都が置かれた要害の地「関中」の話をしたのですが、蜀漢が根拠地とした益州(前漢の郡県)の四川盆地もまた四方を天然の要害で囲まれており、防御に適していたことから、独自の政権が成立しやすい地域であったそうです。
↑赤く塗っている部分が、標高が高い山脈や高原になります。
関中同様に天然の要害に囲まれた四川盆地は、米などの穀物が栽培される農業地帯でもあり、特に蜀漢の都である成都が置かれた成都平原一帯は土壌が肥沃であり、「天府之国」(てんぷのくに)という別名があるみたいです。
外敵からの侵攻を防ぎやすく、穀物がよくとれる土地なんて、為政者からしたら最高の領地ですよね。ただ周囲から隔絶された盆地であり、華北平原から遠い場所にあるので、天下を狙おうとしたら不利な立地だと思います。
前漢を建てた劉邦は、漢中や巴蜀から天下を統一しちゃってるのでやっぱり規格外の人物だと分かりますね。
蜀漢の最後
樊城の戦い(はんじょう)で捕虜となり処刑された関羽の仇討ちと領土奪還のために呉に攻めこみ大敗してしまったことや、
諸葛亮の相次ぐ魏への北伐により、蜀の軍事力を疲弊させてしまったこと、諸葛亮の死後行われた北伐によりさらなる疲弊を招いたこと、
さらに第2代皇帝である劉禅の寵愛を受けた黄皓(こう こう)という宦官による悪政により宮中が乱れたことによって国力がさらに衰退したことで、最後は魏に攻め込まれて滅亡してしまいました。
つまり、度重なる外征と国内での内輪もめにより国力を衰退させてしまったことが滅亡に繋がってしまったわけですね。
なんで軍が疲弊するのに北伐を繰り返すのか気になっていたのですが、魏、呉、蜀の国力は魏が圧倒的に高く、蜀が一番国力が低いので、四川盆地にこもって防衛に徹していても、時間が経てば経つほど人口や国力の差がどんどん広がってしまうため、諸葛亮は無理してでも外征する必要があったみたいですね。
まとめ
蜀漢は軍事的に強い四川盆地にこもらず、外征を繰り返し国力を衰退させてしまったのですが、逆に防衛に徹したifの世界も見てみたいですね。
ということで、三国志 蜀漢が成立した地「四川盆地」についてでした。